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旦那が努力してくれている事③お金と優しさ

旦那はお金を使うのも愛情だと言う。

ランチや休日飲みに行ったりする時 必ず旦那がお金を払ってくれる。
私がたまには奢ると言っても絶対払わせない。
旦那なりの男気であるし、イコール愛情なのだ。

ボーナスが出た時、私はボーナスお小遣いを貰うのは遠慮したが、「旅行に行く時の為に取っておけ」と言うし、それでも断ると「だったら俺の為に使って」と言う。
奢らせないくせにね。
だから、たまに旦那の為におやつとかタバコとかお酒とかそんなモノしか買えないけど ちょっとだけ還元してる。


私は毎日息子のお弁当を作る。
ほとんどレンチンなので苦痛ではないが、5時に起き水筒、弁当、家族の朝食の支度をする。

家族が朝食を食べ終われば当然台所を片付け、部屋を片付け、自分の支度をする。
私は厚化粧なので時間がかかる。
歯磨き、着替え、頭髪のセット。ゴミ出し。

主婦なら当たり前の仕事だから、苦痛ではないし、それを出来る今の生活は幸せだ。

息子は夢を実現させる為に毎日 私なら頭がおかしくなりそうなほど勉強している。
息子の為にお弁当を作れる事は、それを応援する気持ちだ。
旦那と朝食を一緒に食べて、美味しいと言ってくれたりする事も幸せを感じる。

旦那は月曜日の朝、私がお弁当づくりをしなくてもいい様に日曜日のうちにスーパーなどでパンやおにぎり、お弁当などを買ってくれる。
そして私に少しゆっくり寝ていいと言ってくれる。

息子にはお金を渡し、今日は弁当は買えと言う。
本当は、私は早起きして自分の時間を作りたいのでありがた迷惑な感じもするのだが
そんな事は言わずにありがとうと言う。

旦那の気持ちが嬉しいのだ。
私にはいくらでもお金を使うけど、旦那自身の為には缶ジュース1本さえ買わない。

お昼ごはんだって安いカップラーメンを大量にまとめ買いして日々お金を使わないようにしている。
私にお金を使う為に自分には節約している事は苦痛ではないらしい。
そうやってお金を貯めて、今度は大阪に旅行に行く事になっている。

私は旦那に何をすれば恩返しになるんだろう。
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旦那が努力してくれている事② 夫婦生活

セックスレスだったのも、不倫の要因の一つだった。

私は旦那に愛されたかったが、旦那は私には隠れて風俗に行っていた。
今はちゃんと旦那から誘ってくれる。
飲み会にも行かないし、当たり前の様にしていた午前様など全くしない。

毎日顔を合わせている夫婦は年齢と共に段々と恥ずかしくなって来てしまうものなのかもしれないけど、それでも それはずっと放置しておくと心の距離は離れていくものだと思う。

セックスだけにこだわらなくても スキンシップは大切だ。
行為そのものだけに満足感を得るのではなく、心の混ざり合いが2人の絆となると私は考える。

先週は、旦那と喧嘩してしまい セックスしなかった。
旦那はそれを悪いと思ったのか、溜まったのかは分からないけど 誘って来た。

生理になってしまったので それを言うと、
旦那「じゃあいいよ。」
と言われたが、
私「たまには私が御奉仕するから」
と言ってそうした。

身体も心も通わせて なんとなくまだ喧嘩ムードだったけど それも柔らかくなったと思う。

寝ている時にくっついてくれたり、手を繋いでくれる事も ケンカした後しばらくなかったが やっと手を繋いでくれた。
朝、私の目覚ましが鳴って起きようとした私を抱き寄せてくれた。

起きなきゃいけないのに このままでいたい。

旦那が努力してくれている事 ①向き合う姿勢

私の不倫が発覚してから 約1年半が経過した。

最初の頃は毎日怒鳴り暴言を吐く旦那に毎日泣いて土下座した。
絶対に離婚をしたくなかった。
強い気持ちがあった。

それから1年半が過ぎ旦那も私も幸せを感じる日々を取り戻せているのではないかと思う。

それは旦那が私と向き合う様に努力してくれている賜物だと思う。
私は不倫という間違いを起こし、それについて謝罪し、反省し続ける事は当然だが
恐らく旦那も私が不倫をした一端は自分にも責任があると感じたり、不倫の事を掘り返し責め続ける事を良くない事だと反省する様になったのだと思う。

不倫前にしていた私に対する否定的な発言は今はない。
例えば、
「お前が何処で誰と何をしようと俺には関係ない」などと言われていたが、
今は家の中に居ようとも不安がって喧嘩になった事もあった。
私が携帯電話の着信音に気が付かなかった時も、そうだった。

私は潔白を証明する為にGPSのアプリを消せない元々は旦那に強制的にダウンロードされたものだった。
もう消して良いと言われてからも、疑われた時の為に怖くて消せないのだ。

昨日は飼っているハムスターがもう高齢で腫瘍が出来ていて 以前も病院に行ったが また余りにも痛々しい為 また連れて行った。

GPSのアプリは、その時のルート時間、移動中に通信を行ったかどうかを記録される。
そして、その画像を旦那にラインし た。

私「アンちゃんを病院に連れて行ったよ。痛み止めのお薬もらった」

旦那「ありがとう。」と返信が来た。

おばあちゃん③ ありがとう

私は小さい頃からおばあちゃん子だった。

田舎者で口の悪い祖母だったが 愛情を感じていたからこそ キツイことを言われても祖母を好きだったんだと思う。

子どもの頃から、遊びに行ったり泊まりに行くと家事の手伝いをさせられた。
それは、祖母なりの躾だった。
私の母は片付けられない人間なので、祖母はそれが大嫌いで私にもよく言われた。
「お前のお母さんは何であんなに汚くしているんかね?まゆこはそうなっちゃなんねえぞ。」

ご飯を食べ終われば、洗い物を手伝った。
家ではやらないが 祖母の家ではやった。
洗い物が終わったら、台所の水が跳ねた所までキレイに台拭きで吹くんだよ。
と教わった。
「ばあちゃんは口うるさいけどな、まゆこが大きくなって お嫁に行った時に困らない様に 言ってるんだかんな。嫌いで言ってるんじゃねえだよ。」

当時も、祖母から意地悪で言われたなんて思ってない。

一度だけ、祖母と2人で旅行をした事があった。
近場で温泉宿に泊まった。

本来なら私の両親が連れて行くべきだった。

祖母にお前のお父さんとお母さんだけには旅行に連れて行ってもらったことがないと ちょっと嫌味を言われたせいだった。

私の両親はお金に余裕がない。
その昔、祖母にも借金をした。


だから、私が連れて行こうと思ったのだ。

祖母は歩くのもゆっくりだし 観光などはせずに 宿に泊まってゆっくりしただけだった。
祖母は同居している嫁の愚痴をこぼしていた。
それを私は、うんうんと聞いた。

大していいホテルではなかったが 祖母は孫に旅行に連れて来てもらったと とても喜んでくれた様だった。
私も祖母が喜んでくれて良かった。

祖母から言われた言葉の中で最も心に残っている言葉がある。

「まゆこ。馬鹿になれよ。」

この言葉の意味は
喧嘩したり、ムカついたり、悔しい事や辛い事があっても、心の中ではこの野郎!って思っても、表面には出さず ごめんなさいと謝って丸く収めなさい。
と言う様な事。

自分のプライドを掲げて 対抗するのではなく、言い方悪いけどヘラヘラ笑って(馬鹿なフリして)
問題を解決しなさい。みたいなこと。

日本語で説明するのって難しいな。

私はばあちゃんからもらったその言葉をとても大切に心にしまってある。

姑にムカついた時、旦那にムカついた時、

ばあちゃんが「まゆこ。馬鹿になるんだよ。」
って教えてくれた。

ばあちゃんの声が脳裏にしっかりとある。
ばあちゃんが私にしっかり生きろと言っていると思う。

おばあちゃん。ありがとう。

長い人生、お疲れ様でした。
私も頑張って生きるよ。ばあちゃんに 良く頑張ったなって いつか言ってもらえるように。



おばあちゃん② おばあちゃんの人生

祖母からいつも聞いていた、祖母の昔話。

田舎暮らしで貧しかった事。
祖父は病気がちで、働いて賃金を得て生活を支えていたのは祖母だった。

私が子どもの頃は、祖母が仕事に行く姿を見ていた。
祖父が掃除や家事をしていた。
でも、食事の支度は祖母だったな。

祖母は6人の子どもがいた。
私の父は長男だ。

貧しかったので誰も高校には行けなかった。
父は 学校から帰ったら、弟妹の面倒を見て 祖母の仕事を手伝った。

学校に行くカバンも買えず、風呂敷に勉強道具を持って行った。

飴玉一つでもきょうだいで分け合った。

父からは、「姉妹仲良くするんだぞ。」といつも言われた。

祖母は余りの貧しさ、生活の苦しさから何度 子どもを殺め 自分も死のうとしたか。と言った。
それでも (赤ちゃんの頃の)無邪気な父の顔を見ると、手をかけられなかったと話した。

戦争のあった時代。
田舎には、物資が足りなかった。

祖父は戦争に行った。
幸い、最前線ではなく 通信の仕事だったらしく
戦後は帰ってくる事が出来たらしい。

6人目の末っ子(叔父にあたる)はバイクの免許を16歳で取り、事故で亡くなった。

私が生まれて間もなくのことらしいが、私はこの叔父さんのお葬式の記憶がある。
夢なのかもしれないけど。

祖母は5人目の子ども(叔父さん)(娘と問題を起こしたいとこの親)と同居することを希望した。

祖父はいつも酒を飲んでいた。
そして酒乱だった。

大声で訳の分からない事を言ったり、
何が原因か分からないけど 祖母といつも喧嘩をしていた。
幼かった私は怖くて 祖母の家に遊びに行ったり、泊まりに行くのは少し嫌だった。

祖母の事も祖父の事も嫌いじゃないけど、酒を飲んで喧嘩をする2人は嫌いだった。

おばあちゃん ①許して

祖母が亡くなった。

祖母と私には確執があった。

6年前 娘がまだ14歳の頃。

祖母が一緒に暮らしている孫(私のいとこ)と娘がトラブルを起こし いとこ(成人してる)は逮捕された。
娘にも原因があった。
祖母はこんな事になったのは私が悪いと思っていた。
祖母に「鬼!」と言われた時は悲しかった。

当時娘は学校も不登校気味になっていたり、行方が分からなくなったり、非行を心配した私は警察に相談していた。
そこで、いとこの存在が浮上した。
警察が色々調べると いとこは逃げ 自殺未遂もした。
その後身柄確保。逮捕された。


私は、この事が祖母を傷つけてしまうと思っていた。
でも、どうする事も出来なかった。

もう以前のように、盆も正月も親戚一同が集まっている所に行けなくなった。

祖母に合わせる顔が無かった。
いとこの親(叔父、叔母)にも。

私の親にも迷惑をかけた。
謝っても、謝りきれなかった。

祖母が足腰弱くなって入院したと聞いたのは2年ほど前だろうか。
一度も顔を見に行く事は出来なかった。
私の子供達が大きくなった姿を見せてあげる事も出来なかった。

おばあちゃん。ごめんね。

恨んでる訳じゃない。
合わせる顔がなかっただけだよ。

祖母が亡くなる前、もう危ないと聞かされていた時
父が「ばあちゃんの顔、見て来な。もう、なんとも思ってないから。」
そう言われたけど 会いには行けなかった。

自由に行動出来ない現在の私の事もあったし。

旦那も快く思ってないかもしれないし。

色々言い訳ばかりが 頭の中に巡る。



冷蔵庫の中でも同じ温度じゃないらしい。

旦那は昨日から仕事。
私含め、ほかの従業員は明日までお盆やすみです。

昨日も今日も、一歩も外に出ません。
旦那の言いつけを守っているからです。

朝から旦那に言いつけられた仕事、家事をこなしました。
旦那の洋服箪笥の整理。他。

やる事やったら ゲームして、録画見て、昼寝してました。

あー、昼寝すると目が覚めない。

いつまでもダラダラしちゃう。
やっと身体を起こし 夜ご飯の準備。洗濯物の片付け。

旦那から、風呂に入って家事終わらせておくように電話があったのは7時30分頃かな。
忙しいみたいだな。

8時30分頃旦那帰宅。疲れてそう。

ご飯とビールを出す。

旦那「ビールがぬるい」

私「え。ごめん。」

旦那「何で入れたばかりのビール出すの。」

私「入れたばかりじゃないよ。でも、ドアポケットの方にあったやつだから、温度が高いのかな。」

旦那「同じ時間冷蔵庫に入れてた訳じゃないんでしょ?」

私「同じ時間じゃなくても、2日冷やしたビールと3日冷やしたビールがそんなに違うと思えないんだけど。ドアポケットの方とそんなに温度差があるってわからなかったから、ごめん。」

旦那「嘘つけよ!」

私「嘘じゃない!」「だから、ドアポケットの方が温度が高かったって事でしょ?次から気をつけるから!」
旦那「何で俺が怒られるの?」
私「怒ってるんじゃないよ。ごめんって言ってるじゃん。」



たしかにビールが少しぬるかった。

だから、ごめんって言ってるのに 。
何でまだ、突っかかってくるかな。
嘘とまで言われて。

結局、お前の謝り方が気に入らないとか、始まった。そして、いつもの 「もういい。」と言われた。

旦那は私と居た部屋を出て、子どもがいる居間へ行き、ちょうど帰ってきた長男の弁当箱を洗い出した。

私の居場所がない。

子どもと楽しそうに話している。

除け者にされてる気分。

私は2階に上がって娘の部屋でふて寝する。
子どもが自分の部屋に行ったら旦那の所へ行くつもりだ。

子どもはテレビで映画を観ていた。
それが終わらないと部屋に行かないだろう。

映画が終わったのだろう。旦那が部屋に来た。
旦那「ここで寝るのかよ?」
私「違う。下行く。」

私は浮気がバレてから、旦那にムカついても、嫌な事言われても、私から旦那を避けたりしないようにしてきた。

それはバレる前は、そうやって来たから。
そうやって
旦那に応戦していたから、どんどん気持ちが離れて行ったのだ。
もういいや。あんなやつ。
そうゆう気持ちになって行った。

そして旦那も、私を迎えに来たということは、私を無視する事を辞め 浮気発覚前に自分のして来たその様な態度を良くなかったと思っているからだ。

ここで意地を張っては絶対にいけない。

旦那と部屋に行くと
ぶっきらぼうに
旦那「寝ないのかよ。」と言って来た。

もう、楽しく話せる雰囲気でもないし。
私「寝る。」

旦那は、私に背を向けてテレビを見ていた。
やがて、疲れて横になり
テレビをつけたままイビキをかきはじめる。

昼寝した私はうるさくて眠れず。

居間に退散した。

間が悪いかな。私が旦那を避けてると思ってまた、怒るかな。

トイレに立った旦那が私に気づいた。


旦那「何してんの。」

私「いびきが、ちょっと。」

そして布団に戻って布団に入ると、今度は旦那が居間で寝た。

今朝起きた私は、落ちた気分は戻っていた。
旦那も機嫌が戻っている。

今夜はちゃんと冷えたビールを出そう。
もう、ドアポケットには入れないようにしよう。

旦那が作って欲しいって言った卵料理を作ろう。

タルタルソースを作って、フライにかけよう。

今日は楽しく過ごそうよ。


IKEA②

そんな時間から酒を飲んでいる人などいなかった。

私達は気持ちの良いソファに座り、
ワインと料理を楽しんだ。

朝ごはんを食べて来てしまった事を後悔した。

レストランの後はIKEAの本来の部分。

家具を見て回った。

私はワイングラスを買う事にした。

ふと気がつくと 旦那の機嫌がおかしくなる。

さっきまで会話も盛り上がって一緒に歩いていたのに。
私も一人でそっとため息をついた。
また、不倫の事を考えているのかな。
しばらく別々に歩いて時々話しかけてみる。
しばらく沈黙の後やっと機嫌が直って来たみたい。

会計が終わると、ファストフードの様なお店があった。
そこで私は50円のソフトクリーム、旦那は120円のホットドッグを食べた。

このお店、券売機で会計後商品を受け取るシステムだけど、
旦那はオプションでピクルスを付けたのに購入していない人も勝手にピクルス載せてる人がいる!

ピクルスと、ケチャップ、マスタードはセルフになっているからだ。

ホットドッグの下に敷いてある紙の色でピクルスを購入した人が分かる様にはなっているが、
店員さんの見ていない所に置いてあるので買ってない人もかけ放題。
20円の話しだけど、ちゃんと購入している方としては気分が悪い。

IKEAの人、もっとちゃんとして欲しいなあ。
味は美味しかったです。
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IKEA①

IKEAに行った事がなかったので「行きたい」
と旦那に言った。
行こうという事になり、

娘が「レストランが凄いんだよ!」と言った。

何それ?IKEAって家具屋さんでしょ?

半信半疑でネットで検索してみる。
本当だ。
なんか、スッゴイ混むらしいから、レストラン狙いならオープンと同時に 入らないとダメみたい。
早い時間に起きて家を出る。

おー!IKEAだ。
わぁ、まだオープン前なのにもう並んでるよ。
とりあえず列に並んでみる。

オープンしてどこに行けばいいのか分からず、人の波に着いて行くと、子どもを預けられる所だった。

違う!ココじゃない。
レストラン、レストラン。

次に人の波に着いて行くとあった!これだ!
わー。なんか、分からないけどすごそう。

カレーが99円とか、パンケーキが安かったり。
私達は勝手がよく分からないが、
生ハムとチーズの盛り合わせとワイン、カレーとパンケーキを購入した。

席に座ってワインで乾杯。
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旦那とデート 銀座

ふらっと都内に旦那の鞄を買いに来た。

まだちょっと早いので時間つぶしに靖国神社に行こうと旦那が言ってくれた。

旦那「やだなぁ。
まゆこが他の男と来た神社に行くの。」
と嫌味を言われたが、

私「母と次男としか来た事ないよ。男となんて来てないよ。」と言った。

寄ってみると、何やらのお祭りで、つき立てのお餅を配っていた。
私達は「ラッキーだったねー」
と喜んでお餅を頂いた。

靖国神社の中もお囃子の奉納などで賑わいでいた。

私は幸せを感じていた。

こうやって、ちくりちくりと嫌味を言ってはいるが、私を許してくれようとしているんだ。
以前なら、怒りを押さえる事などできなかったのだから。
それから、銀座のフレンチレストランに行ってみた。
少し待たされたが、予約無しでも入れた。
旦那が少しの時間遠くを見つめる様な暗い表情になった。
また、私の不倫の事を考えているのだと思う。
心ここにあらず。
私はこういう時、どうすればいいか分からない。
しばらく沈黙が続く。
ファーストドリンクがテーブルに届き乾杯して少しづつ話し出した。

私達は初めて見るお料理達に感動した。

「何これ。トリュフって何?」
「タルタルって何?」
そして味にも感動!

おいしい!

こんな所滅多に来れないし、お高くてガツガツ食べられないけど、旦那と来れたこの日の事は私達の歴史の1ページになる。

今度はイタリアンに行こうと思った。
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